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東海電気鉄道電車コラム
このページでは、東海電気鉄道にてあった過去の出来事などに関する事を、インタビュー形式で掲載しています。内容は増えていく予定ではあります。
その2:東海電気鉄道3100形引退
東海電気鉄道の復興の一端を担い、今まで活躍を続けてきた3100形電車が、2015年12月をもって引退しました。今回は、その特集をお送りします。

登場:美住涼子(神崎テレビアナウンサー)
    秋月花梨(東海電気鉄道代表取締役社長)


△東海電気鉄道3100形。3両編成という特徴を生かし、ローカル線区などに起用されて活躍した。

■3100形引退
ローカル線区を主に活躍の場として活躍を続けてきた、3100形電車が引退しました。
この車両は元を正せば、(JR東日本)東海道線で使用されてきた湘南電車113系で、基本11両編成からサロ2両とサハ、そして中間電動車ユニットを抜いた6両編成(クハ111-2100+モハ113-2000+モハ112-2000+モハ113-2000+モハ112-2000+クハ111-2000)を組成した上で東静車両工業へと搬入。
東京方に連結のクハ111-2100を方向転換して編成をそろえ、モハ113-2000を制御先頭車に改造して3両編成とし、主に今坂線などのローカル線区に投入され、車両数の少なさにより本数が少なかった線区の沿線の乗客からは有難がられた。
導入からは8年前後しか経っていないが、老朽化が乏しくなったことなどから置き換えを計画。東静高速鉄道3000形電車を購入する計画がまとまり、就役次第置き換えることとなった。最終的には2015年12月中旬に置き換えが完了。12月24日に全車両が引退しました。

美住アナ
4両(3200形)の方が先に置き換わると思っていましたが、先に3両編成のほうが引退するんですね。

秋月社長
置き換えが急務の状態でしたから、ようやく目処がつきました。まだ4両編成の方は急務でもないため、今しばらくは活躍を続ける予定です。
しかしながら、この3両編成は疑問が多いですね。4両編成のほうが手っ取り早く導入できたんじゃないですか?
限られた編成の中から、出来るだけ多くの編成を捻出する というテーマみたいなものがありました。作れても2編成ですが。
それで、113系を廃車解体する工場から引っ張ってくる時、6両にしてきたと…
ダブルデッカーは必ず置いてくるようになってましたから、編成解除する必要があります。こちらで解体する分を含めて10両持ってこなければいけないと思っていましたが、再利用する6両分にしていただけたのは有難かったですね。
8年使うだけで先頭車改造をきっちり…
運転機器を調達さえすれば、先頭車化改造はいくらでも手段ありますからね。それでもメーカーの意地を持つ東静車輌工業さんはやってくれました。おかげで手ごろな3両編成を作れて、東海電気鉄道線の輸送力改善にもつながりました。高くはつきましたけどね。
『乗ってもらえる』ことに対する考え方が違ってたんですね。
当時の乗降客数も含めた結果だと思いますけどね。現実的な観点から見て、当時の路線では効率よく乗客をさばき、尚且つ最低限の両数で組成する際、3両編成という数字を出したのでしょう。乗客が多い時間帯は、2編成を併結して6両編成とし、その時間帯が終了してから分割すれば、問題なかったのでしょうね。

△東海電気鉄道3000形。3100形に変わる新たなる顔として、東海電気鉄道線を駆ける。

■3000形(元東静高速鉄道3000形)導入
3100形の老朽化は著しく、一刻も早い置き換えを求められていました。時を同じくして、東静高速鉄道ではある車両に余剰が発生していました。その車両とは、静岡線の列車短編成化によって運行頻度を高めることを目的として製造された、3000形電車でした。この車両は3両編成20本の計60両が製作されていましたが、次第に運用が減少していきます。現在の静岡線は最低でも4両以上の編成で走らなければいけないため、2編成併結の6両編成で走っていました。それでは運用効率の悪いことや、三島線などで共通運用するために4両編成を準備した事など、次第に持て余していくようになります。3両編成本来の使用ができたのは沼津線のみであり、こちらは改良型の6000形で全て事足りていたのです。余剰となった3000形は京神急行電鉄や愛佳交通に貸し出され、各路線で活躍を続けるようになります。やがて京神急行電鉄が自社車両のみで運用を賄えるようになったことから借入車両を返却。そこで、この返却された6編成及び、残っていた編成のうち4編成と合わせて10編成30両を東海電気鉄道が譲り受けることになりました。
それで、置き換え導入するのは東静高速鉄道3000形ですか。
いわば前世代の象徴的な車両ですね。昔の東静高速鉄道さんは短編成志向で、増解結によって両数を調整して輸送効率を上げるという形でした。3000形はこの急先鋒的な車両で、6両で静岡線走行は当たり前の電車でした。短編成のほうが支線の運用でも使いやすいですしね。
今の東静高速鉄道さんでは考えられませんね。短い編成が静岡線の主力で走っていたとは。
ほとんどの路線が、最短4両編成で走らなきゃいけませんからね。相互直通運転している他社電車が4両編成を最低編成としている以上は。唯一の例外である沼津線で3両固定ですが、そこも4編成で足りますし、6000形で全面的に置き換えても十分だという考えなのでしょう。
■3100形が残したもの
現在のカラーリングを最初にまとったのは、この3100形及び3200形、いわゆる113系シリーズでした。何よりも『フレッシュ!』を印象付けたいという中で、旧1000形は水色の車体に青のラインを入れていたのに対し、113系シリーズは水色ではなく白ベースを採用。近年の新世代電車はステンレス製車体のためにベース色は塗られなくなりましたが、軽快なブルーを印象付けるデザインを取り入れた面では、113系シリーズの系譜が受け継がれた形といえるでしょう。
白車体に水色系のラインを塗ったこの電車は、東海電気鉄道の復興時のシンボルでしたよね。
当時は圧倒的に稼動できる車両が少ないときで、何とかかき集められたのがこの電車でしたから。そして新生東海電気鉄道というのを強くアピールするという思いもありましたからね。4両の3000形、3両の3100形、そして開業当初からの車両であった初代1000形の3形式、本当に奮闘してくれましたね。
そして乗降客は着実に増え、復旧…影の功労者で間違いありませんね。
現在の東海電気鉄道を支え続けてくれた功労者であることに代わりはありません。本当に、今まで走ってくれてありがとうという、感謝の気持ちでいっぱいです。
『先立つわが子を見送る母親のようだった』とある女性運転士の話
 既に廃止ありき、の考えに偏っていた当時の東海電気鉄道に、1人の運転士がやってきました。
 『高岡 美知子』と名乗るその女性は、大規模横領事件を起こした高岡 定男前社長代行の元婦人でした。彼女は別の鉄道で運転士をしていましたが、高岡が大規模横領事件の容疑者と分かった後、全てを捨てるかのように離婚。経営再建へと足を踏み出そうとする中に、不足気味になっていた運転士が出来る人として入社したのです。
 3100形…113系電車が入線してきた際、その入れ換え作業を行ったり、点検にも人一倍力を入れるなど、その真摯な姿勢は誰もが見習うべきものとしていました。顔なじみになった整備士から話を聞いて、自身の手で点検をしてみたり、自身で車内を清掃したりと率先して行動をしていました。

 それは、最後の日も同じでした。
 3100形電車が運用を離脱し、代わって3000形(元東静高速鉄道3000形)が運転を開始すると、余剰となる3100形の処遇をどうするかが問題になります。残念ながら解体処分となった編成は、元貨物駅の機能が残っており、車両解体場所として一時的に使用されることになった春菜駅までを自力で廃車回送されることとなった。高岡は最後の回送の日も、機器の点検などに余念がなく、ちゃんと走れるように準備を欠かしませんでした。長年の住処であった神崎総合車両基地から、最期の地となる春菜駅まで、全ての区間で運転台に座り、マスコンを握っていました。
 最後の旅を終え、春菜駅まで到着した電車は、入換牽引の車両に牽引されて、解体場所へと運ばれていきます。高岡は、そのための作業から、入換機によって牽引されてホームを離れていくまで、ずっと様子を見守り続けていたと聞きます。
 それを見ていた春菜駅員、そして作業をしていた作業員たちは、このときの高岡を『先立つわが子を見送る母親のようだった』と記憶しています。

 彼女は現在でも運転士をしていますが、新しい車両に関しては遠慮気味であり、3200形で運用されている列車を中心に乗務しているようです。
■残る4両編成、3200形
 JRからの譲渡車両である113系電車を改造して登場した、3両編成の3100形、そして4両編成の3200形。
 入線当初は3000形と名乗っていた4両の113系は、東静高速鉄道に3両編成の3000形が導入されると、その直通を考慮して改番されることになった。当初は3桁にして300形としていたが、3両編成に改造された113系が導入されることに伴い、現在の3200形と改番された。
 4両の113系は、老朽化に伴って故障が目立ち始めていた初代1000形(元国鉄・JR103系)を置き換えるために6編成24両が導入され、1000形を置き換える計画だったのだ。しかし、事件によって運行計画は変更。置き換える予定だった初代1000形も総動員し(部品を取り替えるなどの応急的な修繕を実施)、そのまま運転継続となったのである。
 3両編成ながら同型車両である3100形のほうが姿を消す中、3200形は朝夕ラッシュ時を中心に、春菜線及び愛菜線で運用されている。嘗て纏った湘南色からかけ離れた、白い車体に水色を中心とした塗装を身にまとい、その地へと馴染んだ電車は、今日も地域の足としての役目を担っているのである。

 4両の3200形は、車両の都合上で南伊豆〜神崎間に入線できなくなったため、朝夕方ラッシュ時の使用を前提とした運用となる。
 春菜線・愛菜線の朝夕方ラッシュ時の普通運用を終えた後、入庫。走る機会は少なくなったものの、今でも後輩車両たちとともに駆けています。


△東海電気鉄道3200形。先に引退した3100形の分まで、長く活躍を続けてほしい。

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